(画像引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/千日前)
大阪には、夜に手を挙げていてもタクシーが拾えない場所があります。
難波と日本橋の間にある千日前エリア。
タクシーが停まってくれない理由は・・・
それほど千日前エリアでは心霊現象が多発しているのです。
その他にも、
●すすけた服を着た人が店を歩いていた
●建物から飛び降りる人影が見えた。しかし何かが落ちた形跡はなかった
など、死者の霊が出るという噂が絶えません。
心霊現象が多発する理由。
それはかつてこの場所で起こった凄惨な火災と、
さらに時代を遡ることでわかったこの土地にまつわる因縁でした。
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千日前はかつて処刑場だった!
千日前エリアは今でこそ「なんばグランド花月」などが立ち並ぶ、賑やかな繁華街となっています。実は千日前はかつて、処刑場と火葬場、そしてお墓があった場所なのです。
千日前という地名の由来として、
「大坂夏の陣での死者を弔う場所だった。
その読経が千日間鳴りやまなかったことから、千日前になった」
と語られることがあります。
しかし、西隣にある法善寺が「千日回向」を行う寺だったため、その門前を「千日前」と呼ぶようになった、というのが事実のようです。
北には刑場、南には火葬場がありました。
刑場とは仕置き場のこと。
この場所には処刑された罪人が晒し首として並べられ、近くには首洗い井戸や人骨が積み上がる灰の山もありました。
有名な話だと、官軍側に捕らえられ処刑された新撰組の近藤勇の首が、この処刑場にて晒し首にされています。
近藤勇の首は塩漬けにされて東京から京都に送られ、三条河原にて晒し首にされました。
つい数ヶ月前までの町を震撼させていた新選組局長の首を一目見ようと、三条河原には連日多くの人々が押しかけたと言われています。
その後、近藤勇の首は大阪の千日前でも晒しものにされたのです。
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千日前が処刑場から繁華街になるまで
明治に入り、1870年には刑場が廃止され、お墓と火葬場も阿倍野に移されました。刑場、火葬場、お墓が無くなってから、再開発が始まったのですが…
縁起が悪いのでさっぱり貰い手がつきません。
そこで行政は、この場所を賑やかな場所にするために、見世物小屋を許可しました。
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1885年に南海電気鉄道難波駅が開業すると一気に発展。
芝居小屋や寄席、映画館が立ち並び、今の千日前の原型が作られました。
1912年に起きた大火災に見舞われ焼け野原になりますが、2年後には総合娯楽場「千日前楽天地」が完成。
それ以降、千日前は大阪きっての繁華街として発展をとげていきます。
その千日前楽天地の跡地が大阪歌舞伎座を経て「千日デパート」になりました。
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日本史上最悪のビル火災「千日デパート火災」
この千日デパートにて、日本のビル史上最悪の事故といわれる「千日デパート火災」が起きてしまいます。千日デパート火災は1972年5月13日に起きたこの火災は、死者118名・重軽傷者78名という多くの犠牲者を出した大惨事でした。
出火原因は工事関係者のタバコの不始末。
閉店直後の22時27分頃、3階にあった婦人服売場より出火しました。
延焼は7階建てだったビルの5階まで及びました。
建材の燃焼により有毒ガスが発生。
このビルの階段室が煙突の役目を果たし、遅くまで営業していた7階最上階のサロンにまで煙が充満しました。
なんとこの時、パニックに乗じて客が「飲み逃げ」しないように、従業員が避難扉の外側から施錠したのです。
閉じ込められた人たちは、さぞ怖かっただろうね・・・
外から扉の鍵を閉められ、逃げ場のなくなった客の多くは、窓ガラスを割って飛び降りました。
この時、21名が全身挫折や頭蓋骨折などで死亡しています。
また、非常誘導路に勝手に間仕切りがなされており、避難することができない状態でした。
避難設備の不備
通報の遅れ
従業員の不手際・・・
これらが重なり、被害が拡大し大きな犠牲者を出すことになりました。
手抜き工事による欠陥、建物の管理体制にも手抜かりがあったことも後に明らかになっています。
この事件は、雑居ビルの火災に対する不備を露呈させるものとなりました。
また、この事件の特筆すべき点として、
死亡した人の主な死因が焼死ではなく一酸化炭素中毒であったこと、
一件の火災で、焼死以外の被害者数が非常に多かったことが挙げられます。
従来の火災による被害の概念を覆す大事件でした。
この事件を受けて、自治省消防庁はデパート、旅館、診療所等など、不特定多数の人々が出入りする場所で火災が発生した際の人命の安全確保と火災の初期消火を目的とした、消防法改正を行ないました。
「千日デパート火災」は法律まで変えてしまうような大事件だったのです。
「プランタンなんば」で多発する心霊現象
焼け跡となったこの場所はしばらく買い手がつかず、12年後の1984年に、ダイエーの百貨店「プランタンなんば」としてオープンしました。旧千日デパートにテナントとして入っていた店舗が、エスカールなんばとして入居することとなります。
そして・・・
「プランタンなんば」の時代にもっとも多くの心霊現象が報告されるようになります。
●火傷だらけの店員が佇んでいた
●霊感が強い人はお店に入ると頭が痛くなる
●館内で失踪して行方不明になっている人が何人もいる
●トイレに入ると扉の外に霊が立っている。焦げた靴だけが見える
●タバコの不始末で火災が起きたせいか、休息所でタバコを吸うときはいつも肩が重くなる
●閉店後にお経を放送で流していた
●プランタンなんばで働いていた従業員はみんな数珠をしている
●アルバイト従業員は初日に御守りを持たされる。
その理由を聞くと「悪いことは言わないから持っとけ!」と怒られた
●エスカレーターや階段に幽霊がおり、霊が降りてこないように壁を鏡張りにしていた
●服のバーゲンセール時の臨時バイトの話。
値札付けの仕事を遅くまでしていると、店内放送で「火災発生、火災発生…」という悲しそうな女性の声が流れた。
皆が慌てふためいていると、社員は落ち着いた声で「大丈夫です。放送テープのミスですから、仕事を続けてください」と作業を続けさせた。
その放送が流れた時間はちょうど千日デパートの火災発生と同時刻だったという。
壁を鏡張りにしたり、お経を流したりと対策を色々講じていたようですが、多くの心霊現象・心霊体験が語られています。
そして2000年3月に「プランタン」から「カテプリ」に名称を変更。
しかし同じ年の12月31日に完全閉店になります。
今の「ビックカメラなんば」は大丈夫なの?
プランタンなんばが閉店した翌年、2001年5月10日に、関西初出店となるビックカメラが新規オープンしました。この時、エスカールなんばのテナントとしての出店となっていますので、エスカールなんばの名称は残っています。
めちゃめちゃ怖いんだけど・・・
プランタン時代は数多くの心霊現象が報告されたこの場所ですが、ビックカメラになってからは心霊現象が少なくなったと言われています。
噂によるとオープンの前に除霊を徹底的に行い、風水を意識した構造で建物を建てているからだとか。
ビックカメラがある建物は北東部分がカットされています。
それは京都御所でも採用されている方法で、鬼門の魔除けのため、切り欠をいれて悪いものや魔物が抜けるようになっているのです。
それでも、奇妙なものを見るのはスタッフなら時々あると、働いている人から実際に聞いたことがあります。
●ゴミ箱から青白い手が伸びているのを見た
●バックヤードに誰かが入っていったのを見たはずなのに、そこには誰もいなかった
●4階(5階という話も)のトイレに幽霊が出る
この他にも聞かせてもらった話があるのですが、「他の人には話さないでほしい」と強く言われたので、記事に書くのは控えさせていただきます。
千日前で今なお語られる心霊現象

火災跡のビルそのものは建て替えられました。
供養のための祠が建てられていますし、建物も霊を避ける構造になっています。
しかしビルの周囲では、未だに心霊現象が報告されています。
●千日前でタクシー運転手が幽霊を見てドアを開けてしまう。傍から見ていると、タクシーが誰もいない場所でドアを開けているように見える。
●近所の住民が夜に大きな音がするのを度々耳にしている。まるで何かが落ちてくるような・・・
●暴走族の一人が突然転倒した。話を聞くと、上から落ちてくる人を見つけて思わず避けたのだという。一緒に走っていた仲間は誰もそんなものは見ていない。
周辺にあるカプセルホテルや居酒屋にも奇妙な話があるらしく、霊道の記事 で書いた幽霊が出没する居酒屋もこの近辺にあります。
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そして…
本当に怖いのはビルの隣にあるアーケード。
ビルは補修ではなく一からすべて建て直されていますが、隣接しているアーケードだけは事故当時のままなのです。
火災当時、炎と煙に耐えられなくなった人が飛び降り、このアーケードに激突して亡くなりました。
飛び降りによって破られたアーケードの天井は修理されています。
ですが、20人以上の死体が折り重なったアーケードそのものは作り直すこともなく、今なお健在なのです。
アーケードを新しくできない事情があるのでしょうか…
また、地下の「なんなんタウン」を造成する際に、処刑場時代の人骨が山ほど出てきたそうです。
一説にはその時に出てきた人骨の数と、千日デパート火災の犠牲者の数が同じという話もありますが・・・
さすがにこれはデマでしょうね。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
また来てね!
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