少女時代、天才詩人とうたわれたスウェーデンのバーブロ・カーレン。
彼女は12歳のときに発表した詩集『Man on Earth』が大ベストセラーになり、
16歳になるまでのたった4年間で、11点の詩集を出版しました。
しかし彼女が有名になったのは、その優れた才能だけではありません。
バーブロ・カーレンは自伝『And the Wolves Howled 』の中で、
「私の前世はアンネ・フランクだった」と告白しているのです。
アンネ・フランクとは

アンネ・フランクは、現在のドイツ・フランクフルトで生まれました。
しかし反ユダヤ主義を掲げるナチスが政権を握り、ユダヤ系であるアンネの家族はその迫害から逃れるため故国を離れ、オランダに亡命します。
その後、第二次世界大戦が勃発し、ドイツ軍がオランダを占領すると、オランダでもユダヤ人狩りが始まりました。
1942年7月6日より、父・オットーの職場があったアムステルダムの隠れ家にて、フランク家を始めとした8人の親族たちと、潜行生活を送ることになります。
隠れ家での生活は2年間におよび、その時のことを日記に書き綴ったのが有名な『アンネの日記』です。
ちなみにこちらが生前のアンネを撮った唯一の映像です。
1941年6月とありますので、隠れ家生活をする1年ほど前のものでしょう。
隣人の結婚式の際、建物の窓から身を乗り出す12歳のアンネの姿が写し出されています。
そして1944年8月4日。
ナチス親衛隊に隠れ家を発見され、隠れ家にいた住人は全員、強制収容所に移送されました。
アンネは姉のマルゴット・フランクとともにベルゲン・ベルゼン強制収容所に入れられ、収容所の不衛生な環境に耐え抜くことができず、チフスに罹患。
1945年3月12日、15歳にしてその命を落としました。
その収容所が英軍に解放される2ヶ月前のことです。
なお、収容所解放時に多くの死体が英軍のブルドーザーで埋められました。
アンネの遺体は未だに確認されていません。
アンネ・フランクの記憶を持つバーブロ・カーレン
youtubeより画像キャプチャー
アンネ・フランクの記憶を持つと語るバーブロ・カーレン(Barbro Karlén)は、1954年にスウェーデンに生まれました。
バーブロは2歳の時にはすでに
「わたしはバーブロじゃないわ。アンネよ」
「今一緒に住んでいる両親は本当の両親ではない」
と口にし、両親を困らせていたと言います。
その頃はまだ、アンネ・フランクのことがそれほどスウェーデンでは知られておらず、
バーブロの両親は敬虔なクリスチャンで「生まれ変わり」を信じていなかったため、
娘が精神的におかしいのではないかと心配していたそうです。
バーブロが7、8歳の時、学校の授業で先生がアンネのことを語った際、
「先生がどうして自分(アンネ)の話をしているのか不思議で、頭が混乱した」
「なぜ自分だけ前世を覚えているのか」
と戸惑い、苦しんだと語っています。
そして10歳になったバーブロが、家族と旅行で初めてアムステルダムを訪れたときのことです。
両親は「アンネ・フランクの家(記念博物館)」を見に行こうと思い立ち、ホテルから電話でタクシーを呼ぼうとしました。
現在の「アンネ・フランクの家」(2015年撮影)
するとバーブロは、
「タクシーなんていらないわ。ここから歩いてすぐのところだもの」と、
生まれて初めて訪れたアムステルダムの町なのに、
入り組んだ街路に迷うことなく、両親をアンネ・フランクの家まで案内したのです。
さらにその建物を一目見るなり、
建物の外の階段が以前と違っていることに気づいたほか、
アンネが壁に貼ってあった映画俳優の写真のこと(そのときは一時的に壁から剥がされていた)などを語り、
両親がガイドの人に確認したところ、バーブロの言うことが本当だとわかりました。
その他はすべて復元されたものでした
アンネたちの生活の痕跡が殆ど残っていないのは、
隠れ家に踏み込んだナチス親衛隊が”隠れていた人間”のみならず、
家具などをすべて持ち去ってしまったからです。
そしてバーブロがアンネたちが隠れ住んでいた部屋に入ったとき、
ナチス親衛隊に捕まえられた時のことを思い出してパニックに陥ったと言います。
前世を覚えていることの意味

バーブロ・カーレンは、幼い頃より度々見る悪夢に悩まされていました。
「ユニフォームを着た男の人たちが階段を駆け上がってきて、自分の家族が隠れている屋根裏部屋のドアを蹴りあける」という夢です。
そして彼女はシャワー恐怖症で、シャワーを浴びることができませんでした。
これはナチスの強制収容所では捕らえたユダヤ人を「シャワーを浴びさせてあげる」とガス室に連れて行き、毒ガスを浴びせて殺していた記憶でしょうか。
アンネとして生きていた前世の記憶は、年齢を重ねるごとに徐々に薄れ、バーブロは警察官になりました。
彼女が警察官になる決意をしたのは、幼いころに夢に見た「ユニフォームを着ている人」に対する恐怖を克服したかったからなのだそうです。
アンネだった記憶を公表するつもりは一切なく、普通に暮らすつもりでした。
イェーテボリで騎馬警官になり、十数年騎馬警官として務めた彼女でしたが、
なぜかその職場で同僚から理由なく迫害されるようになります。
そのことで悩み苦しんでいるうちに、再びアンネの記憶が蘇えりました。
そして彼女を迫害する同僚たちが、前世でアンネが入れられた強制収容所のナチス監視員だったことがわかったのです。
「前世では無力に殺されてしまったけど、現世では自分を殺させはしない」
立ち上がる決意をした時、なぜ自分に前世の記憶があったのか、その理由を悟ったと言います。
前世からの未解決の問題を処理するため、前世を思い出す必要があったのです。
このことががきっかけとなり、『And the Wolves Howled』という本を出版し、
自分がアンネの生まれ変わりであることを世間に公表したのです。
ウィキペディアにも、Barbro Karlénの項目に
As a young child, Karlén had memories of being Anne Frank in a past life.
(幼少期、カーレンはアンネ・フランクの過去生の記憶を持っていた)
という説明がなされています。
ちなみに彼女は現在、ノースカロライナにて教育マネージャーの仕事をされているようです。
おわりに
アンネ・フランクは作家になることを夢見ていました。隠れ家生活を書き綴った日記は、出版することを念頭に書き溜められたものだったのです。
彼女の日記は、収容所から生き延びた父・オットーの手によって書籍となり、
現在は60以上の言語に翻訳され、いまや世界中の人たちが知る本になりました。
しかしわずか15歳で若い命を散らしたアンネが、今や世界中の人が自分が書いた本を手にしていることを知ることはありません。
先に述べましたが、私は数年前にアンネ・フランクの家を訪れました。
ある一つの部屋の壁に貼られた絵や写真、雑誌の切り抜き。
展示されていた数少ない「当時のもの」です。
アンネの家族を連行し、家具一式を奪い去ったナチス・ドイツが、「不要」と判断したものが現在まで残っているのです。
それらは外の世界を見ることが許されないアンネの憧れそのものでした。
絵と写真と雑誌の切抜きと、小さな窓から見える空。
これだけがアンネの世界の全てだったのです。
今回紹介したバーブロ・カーレンは、子どもの頃から文章を書くことに天才的な才能がありました。
12歳のときに初めて出版した詩集『Man on Earth』が大ベストセラーになり、
16歳になるまでのたった4年間で、11点の詩集を出版しました。
(残念ながら日本語訳にはされていません)
現世でナチス監視員の生まれ変わりに立ち向かったバーブロですが、
若くして多くの本を出版したこともまた、
アンネの魂からひきついだ「前世からの未解決の問題」に向かい合った結果なのだと思えてなりません。
あなたにはなぜか繰り返し見る夢はありませんか?
なぜか特定のことを恐れたり、逆に強く心惹かれることはありませんか?
知らない故人のことを細かく言い当てたことはありませんか?
行ったこともない国や特定の時代に強く興味を持ったことはありませんか?
もしかしたらそれは前世から引き継いだ未解決の問題、
あなたの「魂の叫び」なのかもしれません。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。