「学校が建っている所は昔墓地だった」という学校の噂話は本当か?

学校が建っている所は昔墓地だった 校舎

音楽室のピアノがひとりでに鳴る

二宮金次郎の像が夜中校庭を走り回る・・・

 

どの学校でも語られる「学校の七不思議」。

 

その学校の七不思議の中でよく語られる噂の一つ、

 

「学校が建っている所は昔お墓だった」

 

この噂は本当なのか、調べてみました!






スポンサーリンク

「学校が建っている所は昔お墓だった」

学校が建っている所は昔墓地だった お墓
校舎が建つ前、ここにはお寺があり、お墓が広がっていた。

だから今でも校舎や運動場の下には骨がたくさん埋まっていて、

幽霊が出たり、不可思議な事故が起こったりするんだ。

 

学校の七不思議の中でよく語られる噂の一つですね。

 

墓地以外にも、過去にあったものが

「処刑場」「火葬場」「病院」「古戦場」

などのバリエーションがあるようです。

 

噂の出所は友達や、同じ学校に通っていた兄弟姉妹だったりするのですが、

中には先生から聞かされたものだから、在学中は信じてしまっていたという話も。

 

大人がそんなふうに話していれば、小学生なら信じてしまいますよね。

 

学校の怪談って、お父さんお母さんの世代より前からある噂話だったりする。

 

幽霊が出たり、不可思議な事故が起こったりという怪異との関連は置いておくとして、

本当に墓地跡に学校が建てられることがあるのでしょうか。

 

学校内にある“不思議な建築物”

学校が建っている所は昔墓地だった 石垣
結論を述べましょう。

 

墓地跡に学校が建てられることはあります。

 

場所の明言は避けますが、古い地図を調べてみると、学校が建つ前に

現在は姿形もないお寺の名前が記載されていることがあります。

 

また、かつて古墳だった場所に学校が建てられているケースがあります。

古墳とは古代豪族の墓ですから、これもまた墓地と言えます。

地名に「塚」の文字が入っている場所には、古い時代の墓があった可能性が高いです。

 

学校の敷地内に、石垣や記念碑のような、不思議な建築物はありませんでしたか?

もしかしたらそれは、城跡だったり、餓鬼塚といった死者の魂を供養する碑かもしれません・・・

 

なぜお寺はなくなってしまったのか

学校が建っている所は昔墓地だった 仏像
学校ができる前にお寺があったことが事実なら、次の疑問が浮かび上がります。

 

なぜお寺はなくなってしまったのか?

 

なくなったお寺には、火災や地震といった、事故や災害で失われたものもあるでしょう。

 

しかしここで提示したいのが「廃仏毀釈」です。

 

「廃仏毀釈」とは、明治時代に行われた仏教の排斥運動のことを言います。

明治時代になって、幕府が政治の中心となっていた時代が終わり、権力が朝廷の元に返ってきました。

大政奉還ですね。

 

天皇を権威付けるため、神道以外の宗教や思想を排除する必要がありました。

明治政府はキリスト教や陰陽道、そして仏教を次々と弾圧していったのです。

 

仏像や仏具は破壊され、お寺は廃寺へと追い込まれました。

 

壊された中には、貴重な仏像やお寺もあっただろうね。
壊すのは簡単だけど、保存して後世に残すのは難しい。
歴史と伝統には敬意を払いたいものです。

 

破壊の後には、広大な土地だけが残りました。

 

残された土地は、開墾されて田畑に利用されたり、

まとまった広い土地には学校が建てられたりしたのです。

 

破壊される古墳

学校が建っている所は昔墓地だった 古墳
古墳の上に学校が建てられたケースもあります。

「学校 古墳」で検索をかけると珍しいながらも、何校かヒットしますね。

 

千葉県松戸市にある河原塚中学校や大阪府交野市の交野高等学校は、敷地内に古墳が存在し保管されています。

 

そういえばウチの学校に隣接してる大学の敷地にも、6世紀くらいの古墳があるって言ってたような

 

しかし、建物の設立にあたって、遺跡を発見することはそれほど珍しくはありません。

そして、歴史的に見ても古墳はあまり大事にされてはいないのです。

 

例えば、平城京が建設された時にはいくつもの古墳が破壊されて更地にされています。

 

戦国時代には、古墳跡に陣を張ったり、城が作られたりするケースが多々ありました。

埼玉古墳群の丸墓山古墳は石田光成が陣を張るのに使用していますし、

大阪城は石山本願寺の跡に作られましたが、はるか昔その場所には、大規模な前方後円墳があったのではないかという説があります。

 

戦に勝つためには、見通しの良い場所に拠点を置く必要があります。

その点では陣を張るのも築城するのも同じ。

古墳の規模が大きければ大きいほど、戦の拠点に適しています。

 

古代人の墓とは思っておらず、自然の丘や山と大差ない感覚だったのではないでしょうか。

 

その感覚は、現代においても変わらないようです。

開発の際に縄文時代の遺跡や古墳跡が見つかっても、調査機関を入れると納期に間に合わなくなってしまう。

出土したものが博物館に移動するならまだ良い方です。

実際には報告すらされず、破壊されている遺跡も相当数あると言われています。

 

その話、マスターキートンで読んだ!

 

考古学ファンとしては口惜しい限りです。

 

 

ワケありの土地は行政しか買ってくれない

“餓鬼塚”というものをご存知でしょうか。

これは昔、飢饉で作物がとれなくなった時に、飢え死にしてしまった子どもの霊を供養するための慰霊碑です。

 

このような“ワケあり”の土地は各地に存在します。

ワケありの土地は敬遠され、誰も欲しがりません。

そのため、行政くらいしか買い手がつかないのです。

 

元々、墓地だった土地もワケありの土地の一つ。

買い手のつかない土地を行政が購入し、後に学校を建てることになった、という可能性は十分に考えられるのです。

関連記事 → 「桜の木の下には死体が埋まっている」の真相

 

まとめ

  • 「学校が建っている所は昔墓地だった」という学校の七不思議は本当にありえる
  • 明治時代の廃仏毀釈によりお寺が無くなり、後には広大な土地が残された
  • ワケありの土地は行政くらいしか買い手がつかず、行政が買い取った後に学校が建てられた可能性がある
  • 校舎の建設にあたり、地下から古代の遺跡や古墳が見つかることがある
  • 珍しいながらも敷地内に古墳を保管している学校が存在する
 

私が通っていた学校の地下には、第二次世界大戦時に使われた防空壕があり、校舎したから運動場まで続いていると先生から聞かされていました。

 

そのため、

 

「雨の日は運動場を歩いてはいけない」

 

という校則がありました。

 

学校にある不思議な校則を調べることで、七不思議や怪異にアプローチするのも面白いかもしれませんね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。