「君の名は。公式サイト」(http://www.kiminona.com/)より画像引用
昨年ブームを起こすまでに人気になった新海誠監督作品「君の名は。」
息をのむほどに美しく緻密に描かれた風景は、どの場所がモデルとなったのか、ファンであればきっと気になることでしょう。
モデルとなっている地域は概ね岐阜か東京あたりと考えられているのですが、
その岐阜とも東京とも違うある場所にも、「君の名は。」の元ネタではないかと言われている場所があります。
大阪府交野市にある星田妙見宮
なぜ大阪にある神社が「君の名は。」の元ネタと呼ばれているのでしょうか。
まだ映画を視聴されていない方はネタバレ注意です!
君の名は。の元ネタか?大阪に残る隕石落下の言い伝え
「君の名は。」本編より画像キャプチャ
昨年公開された新海誠監督作品「君の名は。」。
社会現象となるまでの人気ぶりで、興行収入は200億円を突破するまでとなりました。
物語の舞台となっている、ヒロインの三葉が住む町は糸守町という架空の町でしたが、
この町が実際にどこかにあるのか、どこかモデルとなっている地域があるのかが話題となりました。
風景の描写や監督自身の舞台挨拶から、
糸守町は諏訪湖付近のが岐阜県の田舎町がモデルとなっていると思われます。
その他にも本編に登場した場所として
宮水神社 飛騨山王宮日枝神社(岐阜)
歩道橋 信濃町駅前(東京)
瀧のバイト先 カフェ ラ・ボエム 新宿御苑(東京)
瀧が三葉に会いに行く時の駅 飛騨古川駅(岐阜)
糸守町のことを調べた図書館 飛騨市図書館(岐阜)
瀧と三葉が再会した階段 須賀神社(東京)
がモデルになった場所なのではないかと推測されています。
モデルとなっている地域は概ね岐阜か東京あたりと考えられており、物語もその地域を中心に展開していくのですが、
その岐阜とも東京とも違う場所にも、「君の名は。」の元ネタではないかと言われている場所があります。
大阪府交野市にある星田妙見宮という神社です。
星田妙見宮には、かつて隕石が落下し、その衝撃によって山が吹き飛んだという言い伝えが残されているのです。
交野の七夕伝説

星田妙見宮のある大阪府交野市ですが、この交野市は七夕伝説の発祥の地として知られています。
交野市周辺には「天の川」「星田」「南星台」「天田宮」「河内磐船」といった、天体を連想させる地名が付けられてます。
ちなみに日本において「星」にまつわる神話や伝承は奇妙なほど少ないのです。
世界で見られる創世神話には、星座や天体にまつわる神話などが多く見られるのに、なぜか日本にはあまり見られません。
それでは交野に残る七夕伝説を見てみましょう。
言い伝えでは、
交野市・機物神社に祀られている織姫と、
枚方市・観音山公園にある巨石「牽牛石」が、
年に1度、7月7日に天野川に架かる「逢合橋」で出逢い逢瀬を楽しむ
とあります。
伝説が実際の地名になっているのですね。
会えそうで会えない、すれ違いを繰り返す三葉と瀧の姿は、
年に一度、しかもその日が雨で天の川が溢れれば会うことができない織姫と彦星の伝説と重なって見えます。
事実、「君の名は。」の完成披露試写会は、2016年7月7日のTOHOシネマズ六本木ヒルズにて行われました。
「君の名は。」は七夕伝説を強く意識した作品と言えるでしょう。
星田妙見宮
じゃらん(http://www.jalan.net/kankou/spt_27230ag2130151906/)より画像引用
交野市・枚方市周辺はかつて交野ヶ原と呼ばれており、
交野ヶ原の中心に落下した隕石により山の大半が吹き飛ばされたという伝説が残されています。
その隕石によってできたクレーターの縁に建てられたのが「星田妙見宮」です。
伝説によると、
空海が私市山中にある獅子窟寺で修行していた時、呪文を唱えると
空から降ってきた星が3つにわかれ、妙見山と光林寺、星の森にそれぞれ落下した
と伝えています。
天体の専門家によると、たしかに816年7月23日に北斗七星の方角からペルセウス流星群が通過しており、隕石はその時に落下したものだと考えられるそうです。
星田妙見宮にある看板の案内には、星田妙見宮のある妙見山は「馬蹄型になっている」と表記されています。
少しわかりづらいですが、グーグルマップの航空写真でみてみると、なんとなく山の真ん中が影になり、へこんでいるように見えます。
それでは次は、この落下した隕石についてお話していきましょう。
ティアマト彗星 = スイフト・タットル彗星
NASA(https://solarsystem.nasa.gov/planets/109pswifttuttle/indepth)より画像引用
物語のキーの一つである「ティアマト彗星」。
ティアマト彗星は1200年周期で地球に最接近し、落下した彗星の欠片が糸守町に大惨事を引き起こします。
このティアマト彗星のモデルと言われているのが「スイフト・タットル彗星」です。
スイフト・タットル彗星とは、1862年7月にルイス・スウィフトとホレース・タットルが互いに独立して発見した周期彗星のことで、ペルセウス座流星群の母天体でもあります。
次の回帰予想は1981年~1982年頃と考えられていましたが、その年の前後には現れず、長い間行方不明となっていました。
しかし1992年、木内鶴彦さんという日本人によって、スイフト・タットル彗星は再発見されることになります。
スイフト・タットル彗星を再発見した木内鶴彦さんですが、この人がかなり不思議な人物なのです。
コメットハンター(彗星捜索家)の肩書きを持つ木内さんですが、
通常、コンピュータによる軌道計算と写真乾板による彗星探査が普通である中、
電卓と大型双眼鏡での眼視によってスイフト・タットル彗星を探し出したのです。
さらに彗星を3つも発見しており、木内さんは全世界から注目を集めている人物なのです。
また木内さんは臨死体験者としても有名で、過去に2度、臨死体験を経験し生還しています。
臨死体験の記録と、その間に見た不思議なヴィジョンは彼の著作として刊行されています。
月刊ムー2016年3月号「木内鶴彦が見た日本史の真実」より画像引用
隕石落下の伝説を伝える星田妙見宮の看板に木内さんの名前が書かれています。
木内さんが再発見したスイフト・タットル彗星の欠片が、交野ヶ原に落下し山を吹き飛ばしたのです。
ティアマト彗星とスイフト・タットル彗星を結びつけるのは、本編の描写と伝説の内容が似ているだけではありません。
星田妙見宮に隕石が落下したのは816年、
そして隕石が落下する物語を描いた「君の名は。」が公開されたのは2016年です。
816年と2016年の間にある1200年という期間。
これはティアマト彗星が地球に近づく1200年の周期と一致しているのです。
新海誠監督は木内鶴彦氏を知っていた?
驚くべきことに、新海誠監督と木内鶴彦さんは出身地が同じなのです。お二人とも長野県南佐久郡小海町の生まれとなっています。
お二人に面識があったかどうかは不明ですが、新海監督は木内さんのことを書籍等で知っていたのではないかと推測しています。
新海監督が星や宇宙に強い関心をもっているのは明らかです。
同郷に彗星の研究者がいるなら、その人物に関心をもっても不思議はないと考えます。
おわりに
水守神社の御神体の祠で、瀧が口噛み酒を飲むシーンがありますが、彼はここで過去に遡り、三葉の人生を追体験する様子が描かれています。
木内さんも臨死体験で時間を遡り、はるか過去の様子を目撃したそうです。
これもどこか共通する要素のように思えますね。
木内さんのヴィジョンによると、星田妙見宮に隕石が落下したのは816年ではなくもっと前のこと。
歳差運動と星座の位置から計算したところ、535年の出来事だったのではないかと語っています。
さらに・・・
隕石で消滅したのは山ではなく都市で、それも政治的に中枢を担う重要な都市だったと話されています。
この時に日本の文明がリセットされたのだと。
もちろんこれは木内さんが臨死体験中に目撃したもので、正史の記録ではありません。
しかし、だからといって完全に嘘だとも断言できません。
この時代の詳細な歴史を記したものは日本には存在せず、古代の様子は当時の大陸の文献と、8世紀に書かれた古事記と日本書紀で推測するしかない状況ですから。
場所すらわかっていない邪馬台国
邪馬台国との関連が指摘されている大和朝廷
そして隕石落下の数年後には仏教が伝来し日本に根付いている・・・
星田妙見宮に落ちた隕石は、日本の歴史を変え、現代にまで続く重大な出来事だったのかもしれません。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。