(https://ja.wikipedia.org/wiki/ホープダイヤモンド)より画像引用
この記事の目次
世界最大のブルーダイヤ「ホープ・ダイヤモンド」
45.50カラットという規格外の大きさの、世界最大のブルーダイヤ「ホープ・ダイヤモンド」。その美しい宝石の価値は、金額にして200憶円とも300憶円とも言われています。
「フランスの青」
「王冠のブルーダイヤモンド」
「タヴェルニエ・ブルー」
さまざまな別称を持つホープ・ダイヤモンドは、映画『タイタニック』で登場する「碧洋のハート」のモデルにもなっています。
そしてこのホープ・ダイヤモンドは呪われたダイヤとしても有名です。
ホープ・ダイヤモンドの持ち主はことごとく不幸や不運に見舞われ、そして非業の死を遂げたという噂が語り継がれる「呪いの宝石」なのです。
ホープ・ダイヤモンドの呪いの変遷

ダイヤの発見
ホープ・ダイヤモンドが発見されたのは9世紀頃と言われています。インドの西北部ガット山脈のバルカット峠のふもとで、一人の農夫により発見されました。
青く美しい透明な石。農夫は大喜びしたことでしょう。
しかし農夫の住む村にペルシアの軍隊が攻めこみ、ダイヤを渡すまいと必死に握りしめていた、農夫の腕ごと切断されてダイヤは強奪されてしまいました。
ペルシア軍の司令官はその青いダイヤモンドを国王に献上しました。
しかし、その司令官は原因不明の自殺、国王も臣下の謀反で殺害されてしまいました。
その後、ダイヤはインド・ベーガンにある寺院の仏像に埋め込まれることになります。
宝石商タヴェルニエ
17世紀、フランスの宝石商ジャン・バティスト・タヴェルニエが、インドの寺院に祀られていた ラマ・シータという神像の眼からダイヤをくり抜いて盗み、フランスに持ち帰りました。そして国王ルイ14世に献上すると、大喜びした国王はタヴェルニエに対し数十億円もの褒美を与えました。
しかしタヴェルニエはその後、事件に巻き込まれ全財産を失い、出かけた先のロシアで野犬に食い殺されて死亡したと言われています。
フランス国王 マリー・アントワネット
1627年、ルイ14世は112カラットを超す青いダイヤをハートシェイプカットに仕立てさせました。67カラットの見事なハートシェイプダイヤは「フランスの青」と呼ばれ、王はそのダイヤを喉元につけて飾りました。
その後、ルイ14世は天然痘で病死します。
それからもダイヤは、ルイ15世、ルイ16世とフランス王室に代々受け継がれていきます。
後のダイヤの所有者たち、ルイ15世の愛人デュ・バリュー夫人やルイ16世王妃マリー・マントワネットは、ご存じの通り、フランス革命で断頭台の露と消えました。
革命の動乱の最中、ダイヤは窃盗団に盗まれ一時行方不明になります。
宝石研磨師 ウィルヘルム・ファルス
18世紀、盗まれた青いダイヤはイギリス、オランダを転々とした後、アムステルダムの宝石研磨師・ファルスの手に渡りました。盗品であることを隠すためにリカットしたのですが、彼の息子にそのダイヤを盗まれ、ファルスは極貧のうちに死ぬことになります。
息子も後になぜか発狂して自殺。
ダイヤを買ったブリューという男は、ダニエル・エリアソンにダイヤを売った後で餓死したと言われています。
そしてエリアソンからダイヤを買った宝石商コローは自殺しました。
ヘンリー・フィリップ・ホープ
1830年頃、ダイヤはロンドンのオークション出され、競売にかけられます。呪いの噂は誰もが知っていましたが、誰もが美しく超高価なダイヤを欲しがりました。
ブルーダイヤを競り落としたのは、実業家ヘンリー・フィリップ・ホープでした。
このダイヤは、彼の名をとって「ホープ・ダイヤモンド」と名付けられたのです。
ダイヤを競り落としたホープは、その後多くの不幸に見舞われました。
ダイヤを買った数年後に破産、そして死亡しています。
しかしホープの一族はこのダイヤを手放しませんでした。
ホープ家は4代に渡ってダイヤを所有し、 そして富豪だった一族はすっかり没落してしまったのです。
この後も、ホープ・ダイヤモンドは人々の手を転々とします。
フランスの宝石ブローカーは発狂して自殺。
パリの女優ラドル嬢は舞台上で愛人のロシア人に射殺され、その愛人も革命家に殺されてしまいました。
トルコのスルタンは革命によって王位を追われ、
ギリシャの宝石ブローカーは妻子と一緒に自動車で崖から転落死して命を落としています。
最後の犠牲者 マクリーン夫人
1909年に宝石商ピエール・カルティエが購入し、無色のダイヤモンドで周囲をとりまいたネックレスに仕立てあげ、1911年にワシントン・ポストのオーナーの義理の娘、エヴァリン・ウォルシュ・マクリーン夫人にこれを売却します。
ダイヤモンドの愛好家であるマクリーン夫人は、ホープ・ダイヤモンドを見せられるとすぐにそれを購入しました。
夫人はホープ・ダイヤモンドを牧師のもとへ持って行き、祝福してもらい、それをお守りとして身につけるのですが…
10歳の息子が交通事故で死亡。
マクリーン夫妻は夫婦生活が破綻して離婚。
1946年、25歳の娘が睡眠薬の過剰摂取で死亡。
度重なる不幸に見舞われても、マクリーンン夫人はホープ・ダイヤモンドを手放そうとしませんでした。
しかし娘が亡くなって数ヶ月後・・・マクリーン夫人も肺炎にかかり病死しました。
ハリー・ウィンストン
マクリーン夫人のホープ・ダイヤモンドを買い取ったのは、ニューヨーク宝石商ハリー・ウィンストンでした。彼は100万ドルでこのダイヤを買い取り、10年ほど個人コレクションとして所有した後、1958年にスミソニアン研究所に寄贈しました。
奇妙なことに、ハリー・ウィンストンはこれほど価値がある宝石をたった2ドル44セントの郵便で送ったと言われています。
こうして多くの人々を不幸に巻き込んできた青いダイヤモンドは現在、アメリカ・スミソニアン博物館内の国立自然史博物館に所蔵されています。
噂の真相

持ち主を次々に不幸にするという、呪いの宝石ホープ・ダイヤモンド。
しかしこれまで紹介してきたエピソードの多くは、1900年初頭にロンドン・タイムズなど、
イギリスの新聞が好んで書いたために広まったものではないかと言われています。
また、ホープ・ダイヤの噂の真相として
マクリーン夫人にダイヤを販売した宝石商カルティエがついた嘘
ヘンリー・ホープの孫の嫁メイ・ヨーへのデマ
という説も語られています。
「メイ・ヨーへのデマ」とする説によると、
ヘンリー・ホープの孫フランシスの妻、アメリカ人女優のメイ・ヨーへが、15章からなる『ダイヤモンドの謎』という本を執筆しました。
その本の登場人物の中に架空の人物をつけ加えていたというのです。
そして、その本をベースにしたメイ自らが主演する映画を製作し、ここでも話の誇張と人物の追加をしています。
つまり本や映画によって脚色や誇張がつけ加えられ、
実際に起こったこと以上に呪いにまつわるエピソードが増えたのではないかと言われているのです。
ホープ・ダイヤモンドの呪いは続いている?
(画像出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/マリリン・モンロー)
スミソニアン博物館に寄贈され、ホープダイヤの呪いは終止符を打ったかに見えました。
最後の所有者ハリー・ウィンストンは呪いの噂を笑い飛ばしていたといいますが…
彼は後に交通事故に4度遭っており、事業にも失敗して破産しています。
そして、最高級宝飾ブランドであったハリー・ウィンストンは、スイスのスウォッチ・グループに買収されてしまったのです。
スミソニアン博物館に寄贈される前ですが、マリリン・モンローが主演映画の中で、ホープ・ダイヤモンドを身につけています。
それから9年後、彼女は自宅の寝室で謎の死を遂げているのです。