「泣く少年(The Crying Boy)」という絵をご存知でしょうか。
絵そのものはタイトル通り、涙を浮かべている男の子がモデルの何の変哲もない絵なのですが、
この絵を持っていると火事に見舞われるという恐ろしい都市伝説があるのです。
かつて新聞にも掲載され、イギリス中を震撼させた呪いの絵画「泣く少年」。
この絵が招いたとされる火事のエピソードや絵にまつわる都市伝説、
そして呪いの絵画の真相について紹介します。
飾ると火事を招く「泣く少年」の絵
wikipedia『The Crying Boy』 より画像引用
1985年、イギリスの南ヨークシャー地方で奇妙な火災が頻発しました。
奇妙な火事というよりも”奇妙な火災現場”。
全焼するほど勢いで住宅が燃えたのにも関わらず、飾られていた一枚の絵だけが無傷で残されていたというのです。
焼け残っていたのは「泣く少年」という名の複製画。
キャンバスいっぱいに男の子の顔が描かれ、
その目からはあふれんばかりの涙を目にうかべてこちらを見ているという絵です。
確かに全焼した火災現場としては奇妙な光景でしょう。
ですがこの怪奇現象はこの一件だけではなかったのです。
なぜかこの「泣く少年」の絵画だけがいつも火災現場に焦げることなく無傷で焼け残っており、この謎の現象はすでに数十件報告されていました。
のちに消防士の一人は、焼け残った「泣く少年」の絵を火災現場で7回以上目撃したと語っています。
1985年9月4日の英国タブロイド紙「ザ・サン」が、このことを記事にしたところ、「自分も同じ経験をした」と訴える電話が殺到しました。
奇しくもこの記事が載った5日後の9月9日、ボウトンという街に住むブライアン・パークスさんの自宅が火事に遭い全焼。
そして焼け跡からは無傷の「泣く少年」の絵が発見され大騒ぎとなります。
「泣く少年」の絵は火災を招く呪われた絵なのではないだろうかと。
さらに翌月の1985年の10月には、
●10月9日、オックスフォードのグレース・マーレイさんの家が火災に遭い、彼女は火傷で入院。彼女の部屋からは飾っていた「泣く少年」の絵が無傷で発見された
●10月21日、グレート・ヤーマスにあるピザ店にて火災が発生。店内にはいくつもの絵が飾られていたが、「泣く少年」の絵の絵だけが残り、他の絵はすべて焼け落ちていた
●10月24日、ヘリングソープのケビン・ゴッドバーさんの家が炎上。同じ壁には何枚かの絵が掛けられていたが、両脇にかけてあった絵は二つとも燃え尽きていたのに「泣く少年」の絵だけはそのまま残っていた
●10月25日、マーシーサイドのアモスさんの家が、ガス漏れのためか突然爆発、炎上した。この家にはリビングと台所に2枚の「泣く少年」の絵の絵が飾られていたが、2枚とも無傷のまま残っていた
このような「泣く少年」の絵だけが焼け跡から無傷で発見される奇妙な火災が立て続けに起こりました。
▲「泣く少年」の焼却処分を伝える記事
その結果、「ザ・サン」にはパニックを起こした読者から2000枚以上の「泣く少年」の絵が送り付けられました。
最終的には消防隊の監視の下で焼却される騒ぎにまで発展したのです。
「泣く少年の絵」にまつわる都市伝説

どんな火災でもなぜか無傷で残っている「泣く少年」の絵。
中には燃えさかる炎の中、絵の少年が目が光り
「お前は燃えてしまう」
という声を聞いたなんて恐ろしい話も・・・
このように「泣く少年」の絵には、モデルになった少年と画家についての都市伝説が語られています。
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「泣く少年」の絵には何種類か違うバージョンがあり、あるイタリア人画家が描いたものらしい。
そのイタリア人画家がスペインを訪れた際、出会った少年があまりにも悲しそうな顔をしていたため、印象に残って描いたそうだ。
モデルとなった少年の名はドン・ボニロ。
ドン・ボニロは両親を火事で失った孤児で、行った先々で火災が起こってしまう不幸を背負っていた。
つまり彼は手を触れずにものに火をつけることができる発火能力を持っていたのだ。
そんな背景を持つことから街では「悪魔の子」とも呼ばれており、
現地の司祭は関わらないよう注意したが、その忠告を無視して完成させたのが「泣く少年」の絵だという。
そしてイタリア人画家は描いている途中で火災に遭いアトリエ内で焼死。
少年ドン・ボニロもその後、自動車事故で亡くなっている。
壁にぶつかって真っ赤に炎上した車内の中で・・・
しかしドン・ボニロの念力は絵の中で生き続けている。
たとえ複製画であろうとも、その絵を手にした者は”炎の呪い”から逃れることはできないのだ。
ラジオ番組で暴いた「泣く少年」の絵の真相
尾ひれがつきすぎた感のある「泣く少年」の都市伝説ですが、一部で本当のことも伝えています。「泣く少年」の絵を描いたのはブルーノ・アマディオというヴェネツィア在住のイタリア人画家。
かつて観光客向けに描いた絵で、もともとは「ジプシーの少年(Gypsy boys)」というタイトルだったようです。
そして少なくとも「泣く少年」には65種類のバージョンがあるとされています。
なぜか「泣く少年」の絵はイギリス人にウケたらしく、
1960~70年代にかけてデパートなどで複製画が大量に販売されました。
こうして「泣く少年」の絵は英国各地のどの家庭にもある美術品となったのです。
ちなみにブルーノ・アマディオ氏は1981年9月22日にこの世を去っています。
2010年には「泣く少年」の絵の謎を解明すべく、
BBCラジオの「Punt PI」という番組にて、コメディアンのスティーブ・パントが実験を行っています。
その結果、「泣く少年」の絵は本当にほとんど焼けず、額縁が焦げるのみにとどまりました。
さらに検証を継続した結果、これらの絵画には硬質繊維板と呼ばれる素材が使われており、いわば防炎処理が施されたような状態だったということがわかりました。
アメリカだとドア材や画材のキャンバスに使われているね
つまり火災現場で無傷で残るという「泣く少年」の絵の真相は、
「泣く少年」の絵は流通量が多く、火事になった家にたまたま「泣く少年」の絵があった
火事の時は額縁をつるす紐が先に焼け、絵が地面に落ちるから絵は燃えない
絵が描かれている面が下に落ちるため絵は燃えずに無傷で残る
だと結論づけられたのです。
「泣く少年の絵」の呪いは終わらない?
他のオカルトサイトではたいていが都市伝説の紹介か、この結論の提示で終わっているのですが、他人と同じことを言っても面白くないのでもう少しお話を続けましょう。
ヨークシャーの消防士の中には上記の結論に反論する人もいます。
「泣く少年」の絵に使われている硬質繊維板はアメリカではキャンバスにも使われているとお話ししました。
だとすると硬質繊維板を使用した他の絵も、「泣く少年」の絵と同様に火事から無傷で残るものがないとおかしいのです。
家が全焼するほどの火事となると、壁も天井も崩れ、高熱で家電製品すら溶けてしまうといいます。
ですがそうした中にあっても、「泣く少年」の絵だけが無傷で焼け跡から発見されるのは、やはり不思議ではないでしょうか・・・?
ヨークシャーの消防士たちは現在でも「泣く少年」の絵を絶対に自宅に飾ろうとはしないそうです。
おわりに
かつてイギリスを震撼させた「泣く少年」の絵。どの家庭にもあったくらい流通していた「泣く少年」の絵は、現在はどれだけの枚数の複製画があるんでしょうか。
気になって調べてみたところ、オークションサイト「eBay」にて度々「泣く少年」が出品されているようですね。
複製画なのでポスターくらいの価格かと思っていたのですが、出品額は日本円にして25000円ほどの値がつけられていました。
希少価値がついているからなのか、額縁込みの値段だからなのか、私が予想していたより高値での取引です。
数が少ないなら欲しい気持ちがなくもないですけど、
もし自宅が火事になっちゃったらシャレにならないので、やっぱり手元に置いておきたくないですね!
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。