兵庫県西宮市の住宅街の中に、バラの名所として見ごろを迎えた教会があります。
アンネのバラの教会
アンネとは『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクのこと。
アンネのバラの教会はアンネ・フランクを祈念した世界でただ一つの教会なのです。
なぜ日本にアンネ・フランクゆかりの教会があるのでしょうか。
新聞記事でアンネのバラの教会のことを知り、興味をもったのでアンネのバラの教会に行ってみることにしました。
今回はアンネのバラの教会への行き方や併設しているアンネ・フランク資料館、教会で聞かせていただいた講演やその他注意点などについて紹介します。
関連記事 → アンネ・フランクの生まれ変わり
アンネのバラの教会を新聞の記事で知る

アンネのバラの教会のことは、『庭園彩る「アンネのバラ」見頃 西宮』という神戸新聞のネットニュースを読んで初めて知りました。
アンネ・フランクについては、アムステルダムを旅行した際に「アンネ・フランクの家」を訪れて以降興味をもって調べていたことがあるのですが、
まさか日本にアンネ・フランクに縁のある教会があるとは思ってもいませんでした。
興味を持った私は、教会について調べてみると
アンネのバラの教会の資料館にはアンネの貴重な資料を所蔵していること
資料館が見学できるのは土曜日のみで事前予約が必要なこと
バラの見ごろは今がピークであること
がわかりました。
できるならバラが綺麗に咲いているうちに行きたい。
そう思った私は、急いで教会にメールを送りました。
メールを送ったのは木曜日で、見学希望はその2日後の土曜日。
直前の申し込みだったので断られるかもしれないと思っていたのですが、メールを送ってから30分もしないうちに返信がありました。
丁寧な文章で「混雑緩和のため、2時30分以降なら大丈夫です」とのことでしたので、
「それでは2時30分以降に家族と一緒にお伺いします」とお伝えしました。
アンネのバラの教会への行き方
アンネのバラの教会は兵庫県西宮市の住宅地の中、阪急電車甲陽園駅から北西方向に約500メートルの所にあります。徒歩で行くとすると5~10分程度の距離ですが、教会は高台の上にあり、道中には急な坂道や長い階段があります。
体力に自信の無い方や足の悪い方は、甲陽園駅前にあるタクシー乗り場を利用したほうが良いでしょう。
なお教会に駐車場はありません。
教会および周辺にお住まいの方のご迷惑になりますので、路上駐車は行わないようにしましょう。
今回は徒歩にてアンネのバラの教会へ行きましたので、最寄駅から教会への行き方を画像を交えて紹介します。

最寄駅の阪急電車甲陽園駅です。
駅が面している道路を右へ行きます。

歩道がなく、路側帯があるのみの道。
自動車の交通量はそれほど多くはありませんが、結構スピードを出して走っているように思います。
通行には十分に注意してください。

全国的に有名なケーキ屋さん「ツマガリ」本店の前を通り過ぎ
ツマガリの焼き菓子はデパートでも買えるけど、生ケーキを食べられるのは本店だけなんだって!

薬局の角を左へ。
しばらく急な坂道を登ります。

曲がりくねった坂道を道なりに、

途中にあらわれる交差点もそのまま真っ直ぐ進みます。

すると右手に石でできた階段が見えてきます。
長い階段を上ると・・・その先にアンネのバラの教会があります。
教会には2時30分に着くよう計算して家を出たのですが、実際には15分ほど遅れて到着しました。
その理由は一緒に行った家族が疲れてしまい、途中で小休止を挟みながら坂を登ってきたからです。
ちょっと運動不足気味かな・・・と思われる方は、無理せず休憩しながら歩いたほうがよいでしょう。
アンネのバラの教会とは

教会に着くと目に飛び込んでくるのがアンネ・フランクの銅像を取り囲む50株のバラです。
教会のお庭には黄色やオレンジやピンクのバラが一面に咲いていました。
「アンネのバラ」という名前のバラは、『アンネの日記』に感銘を受けたベルギーの園芸家デルフォルゲ氏が、平和への願いを込めて新種のバラを作り、ただ一人生き残ったアンネの父、オットー・フランク氏に贈られました。
そのバラは「アンネの形見(Souvenir d’Anne Frank)」と名づけられました。
アンネのバラの教会はオットー氏との交流をきっかけに設立された聖イエス会の教会です。
1971年の演奏旅行中、聖イエス会の合唱団はイスラエルのナタニヤにてオットー氏と偶然出会いました。
行きずりの出会いにも関わらず、オットー氏はコンサートホールの手配などを快く引き受けてくれたそうです。
その後もオットー氏との交流を深める中、オットー氏から「アンネの形見」と名付けられたバラの苗10株が日本へ送られてきました。
しかし輸送事情が悪かったために9株が枯れてしまい・・・
1株だけが聖イエス会創設者の庭で奇跡的に花をつけたのです。
この1株が日本のアンネのバラの起源となります。
その後、アンネのバラは接ぎ木で増やされ、全国の教会や学校、平和施設等に送られています。
アンネ・フランク生誕50周年に当たる1979年に教会設立が計画され、翌年の1980年に教会が建てられました。

アンネのバラの花は花びらの色が変化するという性質を持っています。
つぼみの時は赤色、
開花すると黄色がかったオレンジ色に、
さらに時間が経つと花びらの先からピンク色に変わり、
さらに色が濃くなって赤い色に近づきます。
アンネのバラは四季咲き、つまり1年に4回咲くのですが、
良い花を咲かせるためにつぼみを落とし、春と秋の2回咲くようにしているそうです。
バラの開花時期は気候によって前後するらしく、今年(2018年)は5月中旬が見頃となっているようでした。
家族は写真を撮りたそうにしていましたが、
花壇の周りに人が集まっていたこと
すでに伝えていた時間より遅れてしまっていること
から、先に資料館に入るよう促しました。
アンネ・フランク資料館へ

教会のドアを開けると、女性の方が対応してくださいました。
予約を入れていることと自分の名前を告げ、渡されたアンケートに回答していると、2階から降りてきた男性が声をかけてくださいました。
アンネのバラの教会の牧師をされている坂本さんです。
まずは突然の申込みにも関わらず、見学希望を受け入れてくださったことへの感謝を伝えました。
そして「そろそろお話を始めますので・・・」と私たちは教会の2階に案内されました。
アンネのバラの教会は2階が資料館となっており、建物はアンネが住んでいた隠れ家をイメージして作られています。
礼拝堂の正面には六芒星の中にバラを描いたステンドグラス、
エルサレムの嘆きの壁を象徴した祭壇の石壁、
天井は屋根裏部屋を表した造りになっています。
キリスト教会に六芒星を掲げてあることにびっくりしました
六芒星はユダヤ教のシンボルだからです
六芒星はユダヤ教のシンボルだからです
言うまでもありませんが教会内は撮影禁止です。
祭壇前には講演で使用するためのスクリーンが置かれ、
アンネ・フランクの生涯やホロコーストについて説明するタペストリーが壁一面に展示されていました。
その他、
アンネの愛用していた形見のスプーン、靴べら、切手入れの小箱
オットー氏から寄贈されたネクタイ、万年筆、キーホルダー、財布
アンネの友人や支援者の方々の写真
各国で翻訳された『アンネの日記』
6000人のユダヤ人を救った杉原千畝の「命のビザ」
ユダヤ人を識別するための六芒星のバッジ
など、非常に貴重な資料がケースに入れて展示してありました。
『アンネの日記』の初版本(オランダ語版・日本語版)は手に入れるまで20年かかったそうです
講演を聞いて感じた「平和の架け橋」

2階に案内されてしばらくしてから、「少し早いですが・・・」と館内を見学中の人たちに声をかけ、坂本さんによる写真や映像を交えた講演が始まりました。
ユダヤ人、ユダヤ教とは何か
ナチス・ドイツとヒットラーの台頭
なぜユダヤ人は迫害されることになったのか
アンネ・フランクの生涯
オランダの「アンネ・フランクの家」
オットー氏と聖イエス会「しののめ合唱団」との出会い
オットー氏との交流とアンネのバラの教会が建てられる経緯
アンネのバラについて
1時間にわたる講演で、これほど熱くお話しされるとは思っていませんでした。
思い出せる限り書き出してみましたが、細かいことや順番があやふやで、メモを取っておけばよかったと悔やんでいます。
先に述べたとおり、アンネについては興味をもっていろいろと調べたつもりでいましたが、はじめて目にする写真やお話がたくさんありました。
そして私が抱いていた疑問も、講演を聞く中で理解することができました。
アンネ・フランクを祈念する場所が日本、それも教会であることが不思議でならなかったのです。
『アンネの日記』は現在およそ70ヶ国語で翻訳されています。
1952年に『アンネの日記』の日本語訳が発行されたのですが、オランダでは日本での出版に強い抵抗がありました。
その理由は第二次世界大戦において日本はドイツと同盟を組んでいたから。
ドイツに苦い思い出のあるオランダからすれば、
「お前たちにアンネのことがわかってたまるか!」
となったわけです。
そしてアンネたちはユダヤ人であり、迫害を受け、最終的には強制収容所で命を落としています。
いわばキリスト教はユダヤ人を迫害をした側なのです。
講演ではこうした事実にも触れ、
教団の合唱団がオットー氏と偶然知り合い交流が始まったこと
出会いを記念してバラの苗が送られてきたこと
アンネを祈念した教会を建てようという運動が起きたこと
アンネのバラの教会はたくさんの支援者の想いと行動で建てられたこと
をつぶさに語られていました。
アンネの遺品は世界に目を向けてもほとんど残っていません。
オランダの「アンネの家」もほとんどが復元されたもので、現存するアンネの遺品は日記帳と集めていた写真やポスターくらいです。
数少ないアンネの遺品が日本の教会にあるのは、対立や悲しみを超えて「平和の架け橋」となることを心から祈ったオットー氏が寄贈したからなのです。
それゆえにアンネ・フランクを祈念する教会は、アンネのバラの教会の他に世界のどこにもないのです。
おわりに
アンネ・フランク資料館には年間3000人が訪れているそうです。アンネのバラの教会は、牧師の坂本さんと奥様のお二人だけで運営されているので、多くの人が押しかけるとかえって困ってしまうかもしれません。
それでも私は、もっと多くの人にアンネのバラの教会のことを知ってほしいと思い記事にしました。
アンネ・フランクを祈念した教会が、世界にここだけしかない理由が伝わったのなら幸いです。
最後に・・・
教会内にあるアンネ・フランク資料館は入場無料ですが、
土曜日のみの午後1時~5時に開館で、事前予約が必要です。
(団体の見学の場合は、事前に相談すれば平日に見学可能な場合あるそうです)
年末年始は閉館、12月はクリスマス・シーズンのため不定期となっています。
予約は電話またはメールでの申し込みとなりますが、
教会の運営以外にも、バラの剪定や平和の講演などとても忙しくされているので、できれば申し込みはメールにて行うようにしてください。
電話番号とメールアドレスは教会のホームページに記載があります。
またアンネのバラが見頃となっている5月中旬にアンネ・フランク資料館は一般公開されています。
日程や詳細については教会のホームページ 、Facebook、twitterをご確認ください。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。