アマビエチャレンジで感染症から身を守れ!厚生労働省も画像を使っている妖怪は日本神話につながると思う

アマビエチャレンジ

ここ最近になって、SNS上にアマビエという妖怪の画像が多く投稿されています。
世界を騒がせる新型コロナウイルス感染症の予防になるとして、Twitterでは2020年2月頃から拡散し始めたようです。

「疫病が流行った後、私の姿を絵に描いて人に見せなさい」
海の中より突如姿を現し、そう言い残して消えていった妖怪アマビエ。

新型コロナウイルスが感染拡大する中、江戸時代の妖怪にまつわる言い伝えがインターネットで話題になっているのです。
感染の終息を願って、今もなお投稿が増え続けています。

アマビエとは一体どんな妖怪なのでしょうか。

疫病の予言と自分の姿を書き写すように言い残した妖怪。
その源流を遡ると江戸時代よりもはるか昔にまでたどり着いてしまいました。

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海から現れ疫病を予言した妖怪「アマビエ」とは

アマビエチャレンジ

ウィキペディア「アマビエ」より画像引用

アマビエとは半人半魚の姿をした日本に伝わる妖怪です。
アマビエは江戸時代の瓦版たった1枚だけに登場する珍しい妖怪で、瓦版にはこのように書かれています。

アマビエの言い伝えが登場したのは弘化3年(1846年)4月のこと。
肥後国(現在の熊本県)の海の中に、毎夜光る物体が出現していたため役人が赴いたところ、それが姿を現しました。

それは役人に対して「私は海中に住むアマビエと申す者なり」と名乗り、「これから6年間は諸国で豊作が続くが、その後疫病も流行する。私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ」と予言めいたことを告げ、海の中へ姿を消しました。

役人が写し取った図には、長い毛髪にクチバシ、体にウロコ、3本の足という異形のモノの姿が描かれています。
この話は挿図付きで瓦版に取り上げられ、遠く江戸にまで伝えられたと言います。

アマビエチャレンジ「コロナ対策にアマビエのイラストを描こう!」

アマビエチャレンジ 大蛇堂

「大蛇堂ホームページ」より画像引用

アマビエは疫病を予言したこと、そしてその姿を絵に書き写すように言ったこと。
妖怪好き以外にはほとんど知られていないアマビエの姿を、妖怪掛け軸専門店大蛇堂がアマビエの解説とともにイラストをTwitterに投稿したのが事の発端のようです。

「疫病退散にご利益があるアマビエの力を借りよう!」
「コロナ対策にアマビエのイラストを描こう!」

こうした考えに賛同した多くのユーザーにより、「アマビエチャレンジ」「アマビエ祭り」といったハッシュタグが付けられ、イラストや漫画、ぬいぐるみなどを次々に投稿するという動きが起こりました。
かく言う私も、気に入っているイラストレーターさんの投稿を見てアマビエチャレンジのことを知った次第です。

その動きは日に日に大きくなり、ついにはコロナウィルスの感染拡大防止を呼び掛ける厚生労働省のアイコンに使われるまでに至ったのです。

アマビエはアマビコの書き間違い?

アマビエチャレンジ アマビコ

ウィキペディア「アマビエ」より画像引用

アマビエのように予言する妖怪のことを予言獣と呼び、アマビエの他にも予言をする似たような妖怪がいます。
その中にアマビコというアマビエに名前のよく似た妖怪がいます。

瓦版一枚しか残っていないアマビエに対し、アマビコの方は十数例の史料が残っているとのこと。
しかしそのほとんどは書き写された状態で、名前の表記があま彦や海彦、尼彦、雨彦、天彦、阿磨比古など多岐にわたっています。

その姿は絵の上手い下手はおいておいて、いずれも「三本足の猿」の形状をしており、豊作と病の流行を予言、そして自身の姿を書き見る人は無病長寿になることを告げています。

このうちアマビエと同じ肥後国に出現した史料は4件、隣の日向国(現在の宮崎県)の尼彦入道の名前で1件、そして越後国(現在の新潟県)に出現した史料が2件あります。

年代が特定できるアマビコ最古の例は天保15年(1844年) の越後国にて。
海彦の名前で記された瓦版には、胴体を持たずに頭からいきなり3本の足を生やし、人間のような耳を持ち、目は丸く突き出した口をした姿で描かれています。

アマビコの方がアマビエよりも史料が多くて古い。
どちらも海からの現れ、豊作と疫病を予言し、3本のヒレか足を持ち、その姿を写すように言っている。
そして何より名前がよく似ている…

もうお気づきでしょう。
アマビエはアマビコを書き間違えたものが流布して広まったもので、おそらくはアマビコが方が起源として先なのです。


実はアマビエは「疫病がおさまる」とは言ってないんだよね
アマビエの原典をあたると「豊作が続くが疫病も流行する。私の姿を絵に写して人々に見せるべし」としか言っておらず、絵を書けばどうなるのかその絵を見たらどうなるのか、いわゆるご利益については明言していません。

拡散やまとめ記事が多すぎてアマビエの伝承に尾ひれがついてしまっているようですが、

●疫病が流行ったときに出現…ではなく平時に出現しこれから疫病が流行ると予言しただけ
●病気を治す力がある…ではなく疫病が流行ったら自分の写し絵を見せろと言っただけ(治るとは言ってない
●アマビエの絵には疫病退散の効果がある…治るとは言ってない
●病魔調伏の力が…あるとは言ってない

ネットニュースとは言え、新聞社の記事ですら間違えて書いてましたからね…

アマビエの研究で知られる長野栄俊氏はアマビエチャレンジについて、ご利益を明言していないアマビエより、「私の姿を見る者は無病長寿、早々にこのことを全国に広めよ」と告げているアマビコのほうが本来はふさわしいとコラムの中で述べられています。

コレラ流行を予言した神社姫

アマビエチャレンジ 神社姫

ウィキペディア「神社姫」より画像引用

せっかくなのでもう少し予言獣の話をしましょう。
アマビエよりもアマビコよりも古い、神社姫という妖怪の話です。

神社姫とは江戸時代中期に現れた妖怪。
その姿から人魚に類するものとされ、コレラの流行を予言したといわれています。

文政2年(1819年)4月18日、肥前国(現在の佐賀県)のある浜辺に全長2丈(およそ6メートル)もある2本の角と人の顔を持つ魚のようなものが現れました。
それを目撃した者に向かい「我は龍宮よりの使者・神社姫である。向こう7年は豊作だが、その後にコロリ(コレラ)という病が流行る。しかし我の写し絵を見ればその難を逃れることができ、さらに長寿を得るだろう」と語ったのです。

また、水野皓山による『以文会随筆』によると文政初期に肥前平戸に全長1丈5,6尺(4.5~4.8メートル)の龍神の使者「姫魚」が現れました。
そしてコレラの流行で多くの死者が出ること、自分の写し絵を家門に貼れば難を逃れられることを予言しています。
さらに『藤岡屋日記』にも越後国で人魚が流行病を予言したことが伝えられています。

予言するアマビコと人魚。
目撃された箇所が九州と新潟というように一致しているのが面白いですね。
また、ヒコとヒメは古代の日本人の名前の後ろにつく言葉で、いうなれば対になる言葉です。

アマビコと神社姫は対になる存在なのかもしれない…などとつい想像を膨らませてしまいます。

ちなみに神社姫もアマビエ同様、コロナ禍終息への願いを込めて、SNS上で神社姫に関するイラストの投稿が相次いています。

「漂着神信仰」神は海のかなたから流れ着く

アマビエチャレンジ 漂着神信仰
アマビエや神社姫のように、流行病を予言した妖怪の写し絵をお守りとした事例は少なくありません。
医学が未発達な時代において流行病はさぞ怖ろしい存在であったことでしょう。
そんな災いから身を護るために、珍獣・幻獣の姿を見ることによる除災招福の御利益に頼ったのかもしれません。

事実、多くの家で神社姫の写し絵が重宝されていたという記述があり、不安がる人々の心理につけ込み、異形の妖怪の絵を流行病よけの呪符と称して宣伝して売り歩く商売人もいたのだとか。

なぜ江戸時代の人も現代人も、このような妖怪の姿を図に書き写し広めようとしたのでしょうか。
私は日本人が意識の古層に抱く「漂着神信仰」が根底にあると考えています。

漂着神信仰とは、潮流や風によって浜に流れ着く漂着物を神としてまつる信仰のこと。
寄り神信仰や寄り物信仰と呼ばれることもあります。

天空と大海原が遠くで交わる海のかなたは神の世界でした。
浦島太郎の竜宮城、沖縄のニライカナイ、仏教の西方浄土…

そんな遠い海から流れ着いたものに神性を見出す。
漂着物(寄り物)は神様からの贈り物、あるいは神様そのものだったかもしれません。

日本神話では、漂着神的な側面を持った神様が国造りに携わっていますね。
スクナビコナノカミ(少名毘古那神、少彦名命)です。

スクナビコナノカミは大国主命とともに国造りを行なった際に尽力した小さな神様です。
その姿が小さいことから一寸法師の原型になったとも。
スクナビコナノカミは高天原の神様の使いで、蛾の皮を身にまとい天乃羅摩船で出雲にたどり着きました。

船に乗ってきた、すなわちスクナビコナノカミは海からやって来たのです。

スクナビコナノカミは大国主命と兄弟の契りを結び、国造りに尽力されました。
多くの山や丘を造り名前をつけました。
四国の道後温泉や箱根の湯本温泉はスクナビコナノカミが発見したと言われています。

様々な功績を残したスクナビコナノカミですが、最後は常世国に帰って行ってしまいます。
常世国とは神様の住まう世界。
海に帰って行ってしまうのです。

公のために慈仁を尽くし、静かに去っていったスクナビコナノカミ。
そんなスクナビコナノカミは神様として実に多様な顔をもっています。

国造りの神、常世の神、穀物、知識、酒造、温泉、そして…スクナビコナノカミは医薬を司る神様でもあるのです。


目に見えない脅威に対して日本人は昔も今も、海の彼方より来訪する救いの神を求めているのかもしれません。

この記事のまとめ!

アマビエはアマビコを書き間違えたもの、そしてアマビコと神社姫はヒコとヒメがつくことから、もしかしたら対の存在かもしれないというお話をしましたね。
そのついでにもう一つお話を…

ヒコとヒメとは古代の日本人の名前の後ろにつく言葉です。
男性と女性。
男性集団の長と女性集団の長。
兄弟と姉妹。
そして…男性神と女性神

9世紀に完成した『延喜式神名帳』にはヒコとヒメが対になって祀られる神社がまとめられています。
その中に記された天国津日咩神社天国津彦神社
天国津彦神社って、なんだかアマビコの名前に似ていませんか?

天国津日咩神社と天国津彦神社の名前が記されているのは越前国
アマビコの最も古い記録が残されていた地域なのです。

日本を騒がせている目に見えない脅威と終息を願う心は、遠く忘れ去られていた妖怪の姿だけでなく、もっともっと古い日本人の記憶を呼び覚まさせたのかもしれません。

最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
また来てね!